伊勢原市の遺品整理に伴う片付けの感想・1
「おひとりさま」の時代が来た、といったことが社会でいわれ始めたのは、だいたい20年くらい前だったように記憶しています。
著名な方のベストセラーの影響が大きかったようですね。
本当は、それこそ太古の昔から独身でいた方はいくらでもあったでしょうが、その数が増加し、それをターゲットにした産業やサービスが台頭した頃だといえます。
そんな時代を経て、やがて、遺品整理という特化したカテゴリーができあがったのです。
その頃、東京で自立し、ひとり暮らしも仕事も板について30歳を迎えようという私も、一人旅に憧れて「おひとりさまの宿」というガイド本を購入しました。
「ひとり」を知ってこそ一人前の大人の女、と何だかやたらと粋がっていたのが懐かしく、ひとりで長野の善光寺と、ホノルルにも旅したことが、自分史上最も自由を謳歌したような、忘れられない思い出になっています。
ただ、善光寺への目的は縁結びの祈願、ホノルルでは夕食は毎晩知合いと一緒というのがミソでもあるのですが。
田舎へ行けば、きっと今でも独身者に偏見を持たれたりということはあるかも知れません。
でも、年齢を重ねていくとそういう人も普通に沢山いるし、もっといえば、誰でもいつかひとりになり得る、というのが現実だと、多くの人がわかっているような気がするのです。
伊勢原市の遺品整理に関する色々な感想・2
たとえば、私の母は80歳になりました。
そして、なんと今はじめて、ひとり暮らしを恐らく楽しんでいます。
どうして今さら、という気持が正直ありましたが、そうしたかったというのです。
母は結婚して会社を辞め、私たち3人の娘を育てながら家業も「させられて」生きて来ました。
本人としては苦痛も多々あったようで、父が亡くなり、70後半で家業をたたむというところまでは理解できましたが、その古い家を処分し、自分も娘たちのいる都市に転居しました。
では同居を、という私の誘いを断って、長女の姉の近くで賃貸で暮らしているのです。
あの歳で長年住み慣れた町を離れるだけでも、老人にはこたえるのではないかと危惧しましたが、本人の希望ですからどうにもなりません。
不便もあるでしょうが、今こそはじめて、母は自分の意志で自由を満喫しているというわけです。
「ひとり」を肯定して生きる時代、それはもう若者の特権でもなく選択されるようになった今だからこそ、遺品整理のニーズが確固たるものになったのだと思います。
伊勢原市の遺品整理関連で見た様々な感想・3
「孤独死」という言葉はちょっと悲しい感じがするかも知れません。
「孤立死」ならばどうでしょう。
いや、「尊厳死」とするべきだ、そんな論争を新聞等で読んだのも、やはり20年くらい前だったように思います。
同じ頃、離婚を一回した人のことを「バツイチ」というより「マルイチ」と呼ぼうという社説もどこかで読んだ気がしますが、定着はしませんでした。
今また「孤立死」と普通に使われているようですが、論争があったということは、世間の意識も変わって来たのだと感じます。
いずれにしても、尊厳の心をもって独居死をとらえようというのが、多くの人の感覚となりつつある今、遺品整理業というサービスは「心」なくしては成り立たないといえるのではないでしょうか。
そういう利用者の期待に応える動きが、ますますこの業界を繁栄させ、そのサービスの質が向上することで、産業としてより定着するのだと思われます。
そう考えると、遺品整理という仕事は、それは実際とても厳しい労働だと思うのですが、その反面、それによって人が救われるような、素晴らしい仕事だといえるのかも知れません。
伊勢原市の遺品整理行った上での感想・4
もしも、自分の最期のときがわかったならば、誰でも少しは心積もりというか、ものの整理の算段くらいはできるかも知れません。
「少しは」です。
でも、現実的にはどうなのでしょう。
とても難しい問題だと思うのです。
中年といわれる年代になり、私もそういったことを考えたりしますが、正直なところ途方に暮れてしまいます。
というより、自分はモノが大好きで「モノに埋もれて生きている」と自負するほど、毎日モノの収納などに頭を痛めているからです。
でも、程度の差こそあるにせよ、案外そういう人は多いのではないでしょうか。
だから、雑誌でもテレビ番組でも「収納特集」は常に人気があるのだと思います。
よく葬儀で、最後のお別れのとき、棺桶に故人ゆかりの品々を入れたりしますね。
これはという思い出の品は一緒に入れて欲しいというのはわかります。
たとえば私はあるフランス製ブランドのバッグが大好きです。
若い頃汗水流して働いて買ったものも、ずっと何年も大切に使っていますから、バカだとわかっていても、できれば最期は棺桶に入れて欲しいかもと、半分は本気で思ったことがあります。
でも、本当にそうしたならば、革というよりは塩化ビニールの溶けた中で荼毘に付されることに…と思うと、そんなことは出来ないわけです。
なかば本気だったにしても、冗談はさておき、現実は、やはり亡くなるときは何も持ってはいけないものなのです。
だから、亡くなった後に遺品整理をする意味があるのです。
逆にいえば、遺品になる前にはそうそう整理などできない、ということでしょうか。
伊勢原市の遺品整理に伴う様々な作業の感想・5
最期はあの世に何も持ってはいけない、となると、現実的に、自分の亡きあとの遺品整理について、真剣に考えておくべきだと思います。
実は、遺品整理業のある団体のホームページをみると、そういった自分の遺品を「事前整理」することを勧めている旨がちゃんと載っています。
自分が亡きあと、たとえば家族以外の他人に、サービスとはいえ遺品整理してもらうというのは、元気に生きている現時点で考えると、やはり恥ずかしい思いがしますよね。
けれども、ある程度は、もしかしたら人の手を借りなければならないということを想定するということが、たとえ子どもがいる人でも、必要なのではないかと感じます。
できるだけ、事前に整理しておくに越したことはないということでしょうか。
私のようにモノが大好き、という人は尚更、そんな準備が必要だと痛感しました。
そうして遺品整理をしつつ老いていくのは、大好きだったモノに対する感謝のあらわれでもあり、残される遺族に対する配慮でもあります。
そうやって日々を過ごすのも、悪くはないように思います。
そして、できなかった分は、それでも安心して任せてもらえるような、親身な遺品整理 業者さんが多ければ幸せだと思うのです。
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