川崎市の遺品整理など様々な意見と感想をまとめました

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今回は下記に川崎市の遺品整理など様々な意見と感想をまとめました

川崎市の遺品整理に伴う片付けの感想・1

気づけば、母を亡くしてもう3年になります。
長い間病院にいた母は、自宅療養になった際、とても喜びました。
そして、つらいであろう体を動かし、私たちのためにいろいろしてくれました。
申し訳ない気持ちはありましたが、きっとその時間は母にとって幸せなものだったのでしょう。

母が亡くなって落ち着いてから、私たちは母の部屋の遺品整理に取り掛かりました。
それはそれは腰が重く、なかなか始める気にならなかったのですが、部屋を一部屋増やさねばならない関係で、仕方なく始めたのです。
しかし、今ではあの時遺品整理をしてよかったと思っています。

母は私たちに手紙を残していました。
口で感謝や愛しさを伝えられたことのなかった私たちは、とても驚いたものです。
同時に、とても嬉しく思いました。
貴重品を中心とした形見分けは済んでいたのですが、大切な形見がもう一つ増えたように思います。

遺品整理は、故人ではなく私たち遺族のものなのかもしれません。
母の知らなかった顔を目にしたり、自分たちの心をなだめさせるためにも、遺品整理は、必要でしょう。
母に会えない寂しさは消えることがありませんが、時々、母からの手紙を読みたいと思います。
最近、お墓に行っていないので、終末は掃除に出かけようと思います。

川崎市の遺品整理に関する色々な感想・2

いつの間にか、もう三か月が経過していました。
祖母が亡くなって、ようやく我が家も落ち着きを取り戻しつつあります。
祖母はいつもせわしなく動く人でした。
祖母の家を訪れても、ゆっくり座っていることはなく、いつも何かしら作業をしていたものです。

そんな祖母が亡くなった驚いたのは、生前に葬儀の手配を済ませていたことです。
誰も葬儀屋さんに連絡していないのに、あれもこれも準備を始めて驚きました。
しかも、遺品整理の手配まで済ませてあったのです。
業者の方から遺品整理を始めて良いかという連絡をもらい、私たちは祖母らしいと顔を見合わせました。

生前に葬儀を頼んでおくことができるのは知っていましたが、遺品整理もお願いできるのですね。
祖母は私たちの手を煩わせまいとしたのでしょう。
しかし、少しだけ寂しい気もしました。

祖母の遺品の中に、日記がありました。
それはなんと30冊にもおよび、中には私が生まれた日のことも書かれていました。
ただ、達筆なので読むのが困難です。
人の日記は読んではいけないものだと思っていましたが、それはまるで私たちに向けたかのようでした。
遺品整理を引き受けてくださった業者の方にも、日記は親族へと伝えられていたようです。
きっと、読んで欲しいと考えていたのでしょう。
ゆっくり、読み進めたいと思います。

川崎市の遺品整理関連で見た様々な感想・3

少し前、仲の良かった友人が亡くなりました。
まだ若かったのですが、難病にかかってしまい、闘病生活の末、その短い一生を終えました。
ご両親が僕たちの仲が良かったことをご存じで、一緒に遺品整理を手伝ってくれないかと言ってくださいました。

友人2人と一緒に彼の部屋を訪れると、そこにはまだ友人の気配があるようでした。
ゲームや漫画が好きだった彼の部屋には、驚くほどたくさんのものであふれていました。
彼の生きているときは、その部屋に何度もお世話になったものです。
一つずつ、形見にとゲームをいただき、それ以外はリサイクル店に持って行ってはどうかとご両親に提案したところ、それで構わないとのお返事をいただきました。

早速、仕分け作業をし、リサイクル店に査定をお願いすると結構な金額になり、ご両親にそのままお渡ししました。
お二人は、こんなにつぎ込んでいたのねなんて冗談半分に笑っておられました。

ある程度遺品整理の済んだ部屋は、殺風景になってしまい、より寂しさが増したように思います。
しかし、こうした遺品整理は、残された家族が前に進むためにも必要なことなのでしょう。
ご両親のお役に少しでも立てたのなら、よかったと思っています。
年に一度は、友人たちと彼にお線香をあげに伺おうと決めました。

川崎市の遺品整理行った上での感想・4

子供が小さいとき、母は良く「今が一番幸せよ」と私に言いました。
子供の手が離れた今、その母の言葉がよく分かります。
子供が大好きだった母が亡くなって、もう三年になります。
長い間、母の部屋の遺品整理を行う気になれなかったのですが、先日、とうとう片付けを始めることにしました。

元々持ち物を増やすのが好きではなかった母の遺品整理は、思ったよりも早く済んでしまいました。
特に洋服は、私の半分もなかったように思います。
その代り、写真は山のように見つけました。
母の幼い頃や私たちが子供の頃、孫の写真もたくさん出てきて、ついつい懐かしく、手が止まってしまったのは言うまでもありません。

時間が経ってからの遺品整理は、それでも胸が苦しくなりましたが、懐かしい気持ちにもなることができました。
母の遺品を処分するのは楽なことではありません。
しかし遺品整理をすることができて、今ではよかったと思っています。
遺品整理を始めるには、場合によって時間がかかることもあるでしょう。
それでいいのかもしれません。
ただ、心の整理ができることもまた事実でしょう。

子供たちがみんな集まるチャンスがあったら、母の残した写真を並べて観賞会をしようと思います。
きっと、みんな私や母が若いと言って笑うと思います。
今の一番の楽しみは、その時が来ることです。

川崎市の遺品整理に伴う様々な作業の感想・5

祖母が亡くなったとき、誰よりも悲しんだのは息子である父ではなく、嫁にあたる母でした。
我が家の嫁姑の仲は決していいものではないと思っていたのですが、母の涙を見て、私の知らない何かが二人の間にはあったのだろうと思いました。

祖母の遺品整理をすることになった時、その秘密が少し解けたように思います。
祖母の日記を見つけたのです。
娘のいなかった祖母は、母が嫁いできたとき、とても嬉しかったのだとか。
そして、その時から嫁ではなく娘として接しよう、遠慮しないでくれと伝えたということが書かれていました。

母にそれを聞くと、その通りだと答えてくれました。
実の親のように、もしかしたらそれ以上に愛情をもらったこと、喧嘩してもそれはお互いを信頼していたからだということを母の口からきき、私はなんだか幸せな気持ちになりました。

最初は面倒がって、参加する予定のなかった祖母の遺品整理でしたが、今は本当に一緒にできて良かったと思っています。
まだ祖母を想うと寂しい気持ちにはなりますが、遺品整理を境に心が落ち着いたような気がします。

母は今から、余計なものは残さないようにしようと言っています。
恥ずかしいから、なんだとか。
どうやら祖母の遺品に触れてそう思ったようです。
しかし、母への感謝の言葉が書かれた日記を手にした母の顔は、なんだか嬉しそうでした。

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