今回は下記に北区の遺品整理を行った際意見や感想をまとめました
北区の遺品整理に伴う片付けの感想・1
生前、母は私たちにいつも「人に迷惑をかけないで生きなさい」と口を酸っぱくして言いました。
母の教えを守ろうと頑張りましたが、なかなか難しいものですね。
迷惑をかけっぱなしです。
母が亡くなった時に驚いたことと言えば、葬儀の手配を済ませていたことでしょうか。
連絡を入れてほしい人もリスト化されており、私たちは初めてのことであるにもかかわらず、困ることがありませんでした。
遺品整理についてもそうです。
母の部屋の遺品整理をしなければと思ったときには、業者の方から連絡がありました。
母が信頼してお願いした業者さんだけあって、それは丁寧な仕事ぶりで、私たちは感心しっぱなしでした。
死んでからも私たちに迷惑をかけないとはこういうことよと、母が言っているような気がして、思わず笑ってしまった私たちです。
母の部屋は賃貸で、早く部屋を引き渡す必要があったため、遺品整理を業者の方にしていただけて助かったことは確かですが、もし時間があれば自分たちでやりたかった気もします。
母を思い出しなかなか作業ははかどらなかったでしょうが、遺品整理をすることで自分たちの気持ちも整理できたのではと思うのです。
形見の品を手にしながら、母のことを思い出してはまだ涙が出る日も多いですが、母の言いつけを守って生きていこうと思います。
北区の遺品整理に関する色々な感想・2
遠くに住む祖母が亡くなった時、私はどうしたものかと頭を悩ませました。
仕事で大切な約束があり、休むことができそうになかったのです。
結局、母に香典を託し、通夜にも葬儀に参列はできませんでした。
後になって、その選択をしたことに後悔しました。
最後のお別れ位、ちゃんとしてあげればよかったと思ったのです。
遺品整理をするという話を聞いたとき、私は溜まっていた有給を使わせてもらい、それを手伝うことにしました。
祖母の遺品整理に携わることで、ちゃんとできなかったお別れをしたいと思ったのです。
同居していた伯母も、喜んで私の申し出を受け入れてくれました。
祖母の持ち物は思ったより多くはありませんでした。
伯母曰く、亡くなる前に整理していたのだとか。
自分の死期を、もしかしたら悟っていたのかもしれません。
不自由だった手足を使って残された者の手を煩わせまいと考えていたのではと思うと、胸が痛くなりました。
遺品整理は思ったより早く終えることができました。
私は祖母のお墓に手を合わせ、お別れできなくてごめんと謝ることもできました。
今回のお休みは、社会人になって一番有意義なものだったかもしれません。
形見に、祖母の使っていた巾着をいただきました。
祖母の手作りの品なんだとか。
私も祖母を見習って、裁縫でも始めてみようかな。
北区の遺品整理関連で見た様々な感想・3
友人のお母様が一年ほど前に亡くなったそうです。
お母様とは直接面識はなかったのですが、葬儀には伺わせていただきました。
二か月ほど前から、友人はお母様の遺品整理のために実家にちょこちょこ帰っては作業しているようです。
しかし、先が見えずに気が滅入り始めているのだとか。
助けてほしいと声がかかったのはおとといのことでした。
私でいいのかと尋ねたのですが、是非にと言うので、昨日、お手伝いに行ってきました。
友人の悲痛の叫びは最もだと、ご実家を拝見して思いました。
物の量が尋常ではないのです。
これを二か月間、休みの度に遺品整理していた友人は偉いと思いました。
私はとりあえず、捨ててしまって構わないものだけ、集めることにしました。
友人にとってはもしかしたら思い出の品かもしれないと思い、できるだけ丁寧に選別したつもりです。
それでも袋5つがあっという間にパンパンになってしまいました。
しかし、まだまだ先は見えません、見かねた私は、友人に業者に頼んではどうかと提案してみました。
どうやら友人も、私の後押しが欲しかったようです。
早速来週お願いすることにしたようで、一緒に立ち会ってほしいと頼まれました。
これで彼女の遺品整理からくるストレスが、解放されることを願っています。
北区の遺品整理行った上での感想・4
物を溜めこむと、運気が下がるといいます。
とはいえ、片付けられないお年寄りって、多いような気がしますね。
先日、知り合いのご老人が亡くなりました。
遺品整理に来ていたご夫妻は母の同級生だったようで、時々顔を合わせると話し込んでいたようです。
そんなある日、遺品整理で処分したいものがあるけれど捨てるに捨てられないので、よかったら引き取ってくれないかと言われました。
母に連れられてご老人のお宅へ伺ってびっくり。
食器棚が2本にタンスが5棹もあったのです。
ご夫妻は私たちに食器を引き取ってもらいたいようでした。
段ボールに2つもいただいてきてしまいましたが、正直うちにもそんなには必要ありません。
そこで、使えそうなものだけをいただき、後はリサイクルショップに引き取っていただきました。
後でご夫妻に少しばかりの金額になったお金を持っていきながら母がその話をしたところ、早速リサイクルショップに連絡を入れたようです。
引き取ってもらえるものは引き取ってもらえたことで、遺品整理の終わりが見え始めたとほっとした顔をされていたと母から聞きました。
そんな遺品整理の現実をしってからか、最近母は整理整頓を始めたようです。
捨てられない人だったのに、この頃はいらないものは溜めないようになりました。
それから、少し運気が上がったようだと喜んでいます。
このままどうか続けていただきたいものです。
北区の遺品整理に伴う様々な作業の感想・5
遺言書というものを目にしたのは、祖父が亡くなった時が初めてだったように思います。
お金持ちだったわけでもなかったので、そんなものが残されているなんて思いもしませんでした。
しかし、祖父にはお金が人を狂わせてしまうことが分かっていたのだと思います。
若いころ、お金のせいで痛い目を見てきたようですから。
遺言書のおかげで、形見分けは問題なく終わりました。
そのかわり、大変だったのが遺品整理です。
一人暮らしだった祖父の部屋には、家電や家具類も一式ありました。
物は必要以上にありませんでしたが、それでも楽な作業とは言えませんでした。
両親を私だけでは到底終わらないと感じた私は、遺品整理を引き受けてくれる業者を頼むことにしました。
お金がもったいないと最初は渋っていた両親でしたが、あまりの大変さに最後は同意してくれました。
業者の方の手を借りて、どうにか遺品整理が終わった時、両親も私も心からほっとしました。
ようやく終わったと笑顔がこぼれたほどです。
最初は祖父の物を処分することに抵抗がありました。
しかし、そればかりを気にしていては、遺品整理は終わらないのですね。
今回の経験、本当に大変でしたがいい勉強になったと感じています。
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