座間市の遺品整理に伴う片付けの感想・1
遺品整理の仕事が芸術の域にある場合、やり甲斐は自分の才能を活かしているという点かもしれません。
しかし果たしてそれを才能を言うのかを検証してみたいと思います。
まず才能の意味ですが、物事を進めたり作ったりするなかで、他の人にはない類希な能力のことを指します。
遺品整理における才能は「遺体に動じない」ですが。
まず「他の人にはない類希な」はクリアしていると思います。
しかし物事を何か進めていくというものではありません。
例えるなら、絶対音感に近いかもしれません。
絶対音感も持っているだけでは意味がありませんから、それを活かす職業について発揮されるわけです。
つまり遺品整理をしている人は、遺品整理という仕事においてその能力を発揮できていれば、それは才能と呼ぶにふさわしくなり、やり甲斐につながるという、あくまでも仮説が立てられます。
では、この「遺体に動じない」という能力を活かす仕事は果たして何か。
遺体整理だけなのか。
他に腐った遺体と触れ合うことの多い仕事と言えばなんでしょうか。
うーん、また論点がずれてきていますが。
しばらく進めてみましょう。
座間市の遺品整理に関する色々な感想・2
やり甲斐とは才能を活かす仕事に就いたときに感じられる、という仮説に基づき。
さらに遺品整理は「遺体に動じない」という能力を持った人たちの天職であるという仮説に基づいたとすると、結論として遺品整理はやり甲斐のある仕事になります。
ごく一部の限られた人たちにとって。
しかし新たな疑問。
「他にあるんちゃうの仕事?」はい、また振り出しです。
そうなんです。
その能力を活かす仕事って他にもあるんじゃいのって話です。
警察、葬儀屋、医者などなど。
いや待てよ、これらの職業の人は腐った遺体に出会うことはあっても、それはあくまで自分たちの商売道具になるからですもんね、よく考えたら。
警察にとって遺体は大きな物的証拠。
葬儀屋にとっては、まあスタバでいうところのコーヒーでしょうか。
医者にとってもときにが医学の進歩を発見できるかもしれない資産。
つまり遺体は「嫌いじゃなくて、むしろ興味シンシン」というわけです。
しかし遺品整理屋にとって遺体って、「できれば無くていいんじゃね?」というものです。
「今日の現場にも腐った3ヶ月ものの遺体がありますように!」なんて願う人はまずいないでしょう。
にも関わらず遺体を見なければいけない。
見たいものを見るのに耐性はいりませんが、見たくないけど見なきゃいけないときに、初めて耐性が発揮されます。
なんか答えが見えてきたと思ってるの自分だけですかね。
座間市の遺品整理関連で見た様々な感想・3
遺品整理は他の遺体に関わる職業と違い、「いつも見るわけじゃないし、見たくもないけど、もし見ることになったときでも、決してそこから逃げ出すことは許されない」という宿命を課さているわけですね。
よって「遺体に動じない」という能力が、遺品整理屋においては欠かせない才能となるのです。
そしてやり甲斐に感じられる。
はい、ひとまず結論が出ました。
これで遺品整理屋の求人広告も嘘偽りなく書けますね。
例えばこんな感じでしょうか。
キャッチコピーは「鳩の死骸についつい見入ってしまう」です。
いや違いますね。
これじゃ遺体好きの変質者が応募してきそうです。
しかも鳩と人間では受けるものがまったく違います。
鳩の死骸なんて、小さい子供だったら物珍しくて木の枝かなんかで突きかねません。
もしそれが本物の人間の死骸だったら、間違っても枝で突くなんてマネはできないでしょう。
はてどのようなアプローチがあるでしょうか。
「腐った遺体好き集まれ!」これは完全にふざけ過ぎですね。
でも言いたいことはこういうことです。
好きは極端なので、「100万積まれたら腐った遺体と一晩同じ部屋にいられる人集まれ!」ぐらいでしょうか。
いやでも100万だったらそれこそ生活困窮しているひとなら誰でもやりそうですね。
待てよ、じゃあ結局は「金」が一番ってことですか?
座間市の遺品整理行った上での感想・4
「やっぱりお金ですよね」という求人広告のキャッチコピーがあったとして、皆さんがおそらくイメージされるのは、例えばパチンコ屋、ゴミ回収などでしょうか。
でもですよ、もしこのコピーで、仕事の内容が「遺品整理」だったらどうでしょう。
「いや確かに給料高そうやけど、このアプローチ不謹慎すぎやろ」となるのは必至ですよね。
だから結局のところ、すごく偏見の固まりのような見方をするとですね。
「本当はお金だけど、社会性があると言ってるだけ」という、仮説も立つわけです。
他のどの仕事でもこの仮説は立ちますが、遺品整理だとなおイメージが悪くなりますよね。
仏様使って堂々と金儲けしてんじゃねーよってね。
えーと、やり甲斐の話でしたよね。
つまり、遺品整理は才能を活かすことのできる職人の仕事でありますと。
そしてあいにくその才能を活かす仕事というのは、現時点では遺品整理しかありませんと。
だからやり甲斐を感じるためには、この仕事しか選択肢がなかったんですと。
ここまで考えれば「よりによって遺品整理選ぶ?」という疑問に対しても、とりあえず論理立てた説明ができそうです。
しかしまだ圧倒的に筋道としては苦しいですね。
まず、「これがオレの才能なんだ!」と思って仕事をしていることまでは、わかります。
従事されている人は、そうでも思わない限りやってられないでしょう。
ただどうしても、絶対音感が音楽家になるのとはわけが違いすぎる。
遺体に動じない人が遺品整理屋になるのとは。
その理由は、やはり人に言える仕事かそうでないかという、「人の目」なんでしょうか。
座間市の遺品整理に伴う様々な作業の感想・5
一向に出口が見えない遺品整理のやり甲斐探しの旅ですが。
とりあえずおさらいしましょう。
まず遺品整理屋は、遺体に動じないという能力を持った人たちが、やり甲斐を感じることのできる唯一の職業であるということ。
しかしいくらやり甲斐を感じる事ができたとしても、おそらく月収12万円ではやらないから、結局はおそらくかなりの報酬でないと遺品整理をしようとは思わないということ。
ここですでに遺品整理のやり甲斐は二つあります。
「才能を活かせる」「金になる」このWパンチでもって、世のアイアンハートを持った猛者共を掴んで離さないわけですよ。
というか、もうこれで結論出ている気がしますね。
そういえば遺品整理やってみっかなーと、ある日思い立ったとします。
そして実際やってみました。
すると案外腐った遺体も慣れればどうってことないです。
家族や恋人に離すと「考えられない」「最低」と罵倒を浴びせられ、どうやら自分は人よりそのへんの神経が変わっているということに気づきます。
「ひょっとしてこれって才能?」はい、ここで初めて遺品整理に対するやり甲斐が芽生えます。
さらに芋づる式に「にしても遺品整理って良い商売だよなあ、誰もやりたがらないし、少しふっかけても見積もりOK出るし。
こりゃ儲かるわ」と思い、「いや自分の意外な能力も活かせて、おかげでお金も儲かる、こりゃいい!」となります。
これで完結ですね。
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