三浦郡葉山町の様々な遺品整理体験など感想をまとめました

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今回は下記に三浦郡葉山町の様々な遺品整理体験など感想をまとめました

三浦郡葉山町の遺品整理に伴う片付けの感想・1

歳を取って亡くなることほど、幸せなことはないでしょう。
人にはいつか必ず死が訪れます。
それがいつかは分かりませんが、歳を重ねることは死に対する覚悟ができるものでしょう。

生前、祖父はもう長くはないと私たちに笑って話しました。
歳を重ねると、どうしても体のどこかに不調が生じるものなのでしょう。
足や腰が痛いと、会うたび口にしたものです。

そんな祖父は、亡くなる少し前、身の回りの整理を始めました。
「遺品整理で恥ずかしいものが出たら嫌だから」と笑いながらその理由を話してくれましたが、実際はきっと私たちが少しでも楽に遺品整理を行えるようにと考えてくれたのでしょう。
事実、亡くなった後に遺品整理に祖父の部屋を訪れると、持ち物が最低限になっていました。
洋服や趣味のカメラは友人や兄弟に譲ったようです。

祖父はきっと、自らの死期が分かったのでしょう。
もう会えないのは寂しいことですが、私たちや祖父自身が、覚悟できたことは良かったと思います。
おかげで懐かしい話に花を咲かせられましたし、見たがっていたスカイツリーも見せてあげることができました。
長生きして良かったと喜んでいる姿をみて、私たちも嬉しくなったものです。
週末は久しぶりに祖父のお墓参りに行ってきます。
初ひ孫を見せたら、天国で喜んでくれるかしら。

三浦郡葉山町の遺品整理に関する色々な感想・2

人の死を身近に感じたのは、つい最近になってからのことです。
先日父が亡くなるまで、近親者の死を目の当たりにすることはありませんでした。
祖父母はみな私が幼いころに他界していましたし、亡くなった親せきとはあまり関わりがありませんでした。
父の死は、私にとって初めての大きなショックだったのです。

幼いころはよく、自分が死ぬことを考え恐ろしい気持ちになったものですが、父の死経験することで、当時のことを思い出してしまいました。
しかし、昔とは違い、得体のしれない恐怖ではないかもしれません。

父が亡くなってしばらくした後、父の遺品整理を母と行いました。
まだ気持ちが落ち着いておらず、ほとんど進みませんでした。
今は父の持ち物は実家にありますが、賃貸などで早急に部屋を明け渡さねばならない場合など、遺族は断腸の思いなのでしょうね。
そこに確かにいた人の遺品整理をするというのは、気持ちがなかなかついていかないものでしょう。

物には持ち主の思いが宿るとよく言われます。
父の遺品整理をして、本当にそのことを感じました。
父の気配がまだそこにあるような気がしたのです。
それは父を感じられて嬉しいような、もう会えないことが悲しいような複雑な気分でした。
簡単に気持ちは落ち着かないかもしれません。
しかし、母とゆっくり遺品整理を進め、私たちの気持ちも整理していきたいと思います。

三浦郡葉山町の遺品整理関連で見た様々な感想・3

目標を持つことは、人生を充実させるうえでとても重要なことだと思います。
それを叶えることは簡単なことではありません。
だからこそ、それに向かって精進できるのでしょう。

しかし最近、私は目標を持っていませんでした。
毎日をなんとなくすごし、終末にお酒を飲みに行くことだけを楽しみにしていたように思います。
そんなある日、久しぶりに友人と会うことになりました。
元々はすごく大人しい印象だった彼女ですが、以前にも増してしっかりしたように感じました。
話を聞いて、なぜそう感じたか納得がいったように思います。

2年前、彼女はお父様を亡くされたのだそうです。
悲しみに暮れ、何も手がつかない状態だったそうですが、お父様の部屋を明け渡さなければならなかったのだとか。
一人では遺品整理が追いつかないと、業者さんにお願いしたそうなのですが、その仕事ぶりに感銘を受けたのだそうです。
遺品整理を他人に頼むことに、彼女は抵抗があったそうです。
しかし、本当に丁寧に作業してくださり、頼んでよかったととても感謝したのだとか。

遺品整理の仕事は、きっと楽なことばかりではないでしょう。
時には死後何日もたった部屋で作業しなければならないのだとか。
そうした事実を知った友人は、自分も人に感謝される仕事に就きたいと、現在介護士の資格を取ろうと勉強中なんだそうです。

私も彼女に会って刺激を受けました。
中断していた社労士の資格勉強、再開しようと思います。

三浦郡葉山町の遺品整理行った上での感想・4

姉がこの世を去って、もう三年が経とうとしています。
姉の死を目の当たりにするまで、私は長生きすることが幸せだと思っていました。
しかし、本当に大切なのはその生き方なのかもしれません。

姉はもともと、先天性の病を持って生まれてきました。
20歳まで生きればいいと言われていた病ですが、姉はその20歳を大きく超えても元気に過ごしていたのです。
ただ、幼いころからどれほど生きられるか不明だったため、彼女は何をするのにも一生懸命でした。
そんな姉を、私はいつも眩しく思っていたものです。

姉が亡くなって、彼女の部屋の遺品整理をすることになったとき。
両親も私も、とても重い気持ちになりました。
姉の死を受け入れないわけにはいかなくなってしまうからです。
しかし、今ではちゃんと遺品整理できてよかったと思います。

姉の洋服は一部、私が貰い受けました。
また、私が誕生日にあげたものを、大事に取っておいてくれたことも、とても嬉しかったです。
両親や私宛の手紙も見つけました。
そこには明るく元気な姉の姿が見えるようでした。

遺品整理をして、私たち遺族の心は少し落ち着いた気がします。
物には持ち主の魂が宿ると聞きますが、本当にその通りですね。
姉にはもう会えませんが、彼女の意思をついで、私も明るく前向きに生きていこうと思います。

三浦郡葉山町の遺品整理に伴う様々な作業の感想・5

昨夜、久しぶりに祖母の夢を見ました。
両親が共働きだった私は、学校帰り、自宅から徒歩5分の祖母の家に毎日厄介になっていました。
そのせいもあって、私は自他ともに認めるおばあちゃん子でした。
祖母が亡くなった時、誰より悲しんだのはもしかしたら私だったかもしれません。

祖母が亡くなった後も、しばらく祖母の家はそのままにされていましたが、兄の結婚を機に、祖母の家を建て替えることになりました。
そのため、先送りになっていた遺品整理をみんなで行うことになったのです。
祖母が亡くなって数年が経過していましたので、私や両親の気持ちはすでにだいぶ落ち着いていました。
そのため、祖母の遺品整理は懐かしい話をしながら、和やかに行うことができたように思います。

ただ、祖母がいつもつけていたエプロンを目にした時だけは、祖母に会いたい衝動に駆られ、涙があふれてしまいました。
亡くなっているのにおかしな話ですが、つい「おばあちゃん元気かなぁ」という言葉が口をついて出てきました。

時間をおいて遺品整理ができたことは、私たち家族にとってとてもよかったことのように思います。
そういえば、しばらく祖母のお墓参りに行っていません。
昨夜の夢は、お墓参りしてよという祖母のメッセージかもしれませんね。
週末、行ってこようと思います。

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