今回は下記に国分寺市の遺品整理で様々な意見と感想をまとめました
国分寺市の遺品整理に伴う片付けの感想・1
身内が亡くなると、悲しいだけでは済まないのですね。
葬儀場でいろいろやっていただいたとはいえ、葬儀の準備や片づけも慌ただしく、ゆっくり悲しんでいる暇もありませんでした。
もっと大変だったのは遺品整理です。
特に亡くなった祖母は骨とう品が好きで、あれこれ集めていたようでした。
しかし、身内にはその価値が分かるものはいませんでした。
その道のプロに見てもらったところ、価値のあるものもいくつかあったようですが、大半はあまり価値のないものばかりだったようです。
母も始めての遺品整理だったようで、勝手がわからず戸惑っていました。
とはいえ、賃貸の部屋だったためゆっくり遺品整理すればいいかというわけにもいかず、最終的には業者の方に手伝っていただくことになりました。
お願いしてみた感想は、もっと早くお願いすればよかった、でした。
確かに料金は多少かかりますが、時間と労力をかけてなかなか進まないより、ずっと良かったと思います。
最近は特に、遺品整理を請け負ってくださる業者も増えているようです。
需要があるから増えるということでしょうね。
みんな、遺品整理が大変だと知っているのでしょう。
ともかく、無事に遺品整理が終わって、ようやく悲しみを感じることができたように思います。
そろそろ、お墓参りにもいかないといけませんね。
国分寺市の遺品整理に関する色々な感想・2
気づけば、父が亡くなってそろそろ5年になります。
突然の死だったので母も私たちも長い間心の整理がつかず、毎晩父を想っては涙を流す日々を送っていました。
それでも、時間が経つにつれ、悲しみは少しずつ薄らいでいったように思います。
先日、母がとうとう父の遺品整理を始めたようです。
父の服をいつまでもかけっぱなしにして、それを見るたびに泣いている母を目にする度、私が遺品整理をしてやったほうが良いのだろうかを考えたこともありました。
しかし、遺品整理を自分でしようと思うまでの時間は、母にとって必要なものだったのかもしれません。
実家に帰るたび、父の物が減っていくのは私にとっても悲しいことでした。
しかし、遺品整理をしている母のほうがもっともっとつらいでしょう。
そのかわり、遺品整理が進むにつれて母の表情が明るくなってきたような気がします。
もしかしたら、父の死を受け入れられるようになってきたのでしょう。
母の笑顔が大好きだった父も、明るさを取り戻しつつある母をみて、きっとほっとしているのではないかと思います。
故人を忘れないことは大切なことです。
しかし、その死にとらわれているまでも前に進めない状態は決していいとは言えないでしょう。
まだまだ、遺品整理は終わらないようです。
次の休みは私も、母を手伝ってあげようかなと思っています。
国分寺市の遺品整理関連で見た様々な感想・3
冬が来ると、大好きだった祖父のことを思い出します。
歳の割に若く、新しいものが大好きだった祖父。
パソコンも携帯も、老眼鏡の力を借りながら使いこなしていました。
お茶目で昔の苦労話ばかりしていた祖父。
頑固なところもありましたが、時々祖父とデートするのが楽しみでした。
そんな祖父が亡くなって、そろそろ10年になります。
祖父は冬に亡くなりました。
寒さが厳しくなってくると、部屋の中でもダウンを脱がなかった祖父。
いつか、みんなで遺品整理をしたときにホッカイロが大量に出てきたのには驚くと同時につい笑みがこぼれてしまいました。
遺品整理ではほかにも色々な発見がありました。
祖父にメル友がいたこと、私が昔あげた不恰好な手編みのマフラーを大切に取っておいてくれたこと、祖母からもらったラブレターを大事に取ってあったこと。
きっと祖父は天国で恥ずかしがっていることでしょう。
遺品整理は大変な作業でしたが、関わることができてよかったと今でも思います。
一度経験したため、祖母が亡くなった後も何をどうすればいいか、見当がつきました。
とはいえ、故人の物を処分しなければならないというのは、辛いものですね。
これからも、私は誰かを見送らなければならないのでしょう。
両親や義理の母、もしかしたらほかにもいるかもしれません。
その時は、私が遺品整理をしてあげようと思っています。
国分寺市の遺品整理行った上での感想・4
叔父は、75歳で亡くなるまで、独身でした。
父とはだいぶ歳が離れていたのですが、歳をとってもいつまでも元気で、アウトドアだった叔父。
キャンプやスキーに何度連れて行ってもらったか分かりません。
叔父のおかげで、自分はアウトドアな遊びが大好きになりました。
つい先日も、友人たちとキャンプに行ってきたところです。
充実した趣味を教えてくれた叔父には本当に感謝しています。
叔父は父たちの実家で一人暮らしをしていました。
叔父がいなくなってから空き家になってしまった父たちの実家は、今自分が住もうと計画しています。
そのためには、掃除と叔父の遺品整理をしなければいけません。
人が長い間住まなくなると、家は傷むとよく言いますが、本当にそうですね。
あちこち補修が必要そうです。
叔父の遺品整理も、父が少ししたようなのですが、キャンプ道具やスキー板はそのままになっていました。
使えるものはもらってもいいかと尋ねると、父も父の兄弟たちも構わないというので、自分が引き継がせてもらおうと思います。
住めるようになるまで、掃除にも遺品整理にも何度も通う必要がありそうですが、叔父の暮らした家に住めるのは楽しみな気がします。
いずれは建て替えが必要になるでしょうが、それは自分が家庭を持った時かなぁと思っています。
国分寺市の遺品整理に伴う様々な作業の感想・5
私が初めて遺品整理をしたのは、祖母が亡くなった時でした。
父の同居の申し出を断り続けた祖母は、一人暮らしをしていました。
心配だったので時々祖母の様子を見に行きながら遊びに行っていたのですが、いつも友人が来ていたり、遊びに行ったりと忙しそうで、毎日充実しているようでした。
祖母が亡くなった時は、お友達の方々が何人か遺品整理を手伝ってくださいました。
おかげで早く終えることができたように思います。
二回目の遺品整理はついこの間、母が亡くなった時です。
物を捨てられない母だったため、遺品整理は祖母の時より何倍も大変でした。
最後にはとうとう根気負けし、業者に電話してしまったほどです。
故人の遺品を処分するのは、心苦しい作業です。
しかし、それ以上に重労働であることを母の遺品整理で学びました。
「捨てたらもったいないじゃない、環境にも悪いし」母は口癖のように言っていました。
確かにそうかもしれませんが、亡くなってしまえばみんなある意味ゴミのようになってしまうんだと思いました。
私も母のもったいない病が少しうつってしまっていたのですが、これからは余計なものを手元に置いておくのは良そうと思います。
死んでから人に迷惑をかけるのは申し訳ないですし、何より片付きます。
まだ死ぬつもりはありませんが、人間それがいつ訪れるのかは分かりません。
その時をいつ迎えてもいいようにしておくことも大切なことではと、母の遺品整理を経験して思いました。
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