上尾市の遺品整理を行った方様々な感想をまとめました

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今回は下記に上尾市の遺品整理を行った方様々な感想をまとめました

上尾市の遺品整理に伴う片付けの感想・1

伯母は小さなアパートを経営しているのですが、そこに住んでいらしたご老人が先日孤独死なさったそうです。
身寄りもなく、遺骨は遠い親戚の方が引き取って行かれたようですが、困ったのが遺品整理しなければならない部屋だったのだとか。

とても感じのいいおばあさんで、外で会えば良くお話もしていたそうです。
全然知らない人でもないので、すべて適当に処分してしまうのは気が引けますし、かといって部屋をそのままの状態にしておくこともできません。
早く遺品整理をして次の方に貸せる状態にしたかったそうですが、どうしたものかと先日相談を受けました。

私は知人のおばあさんが亡くなった時、業者に遺品整理をお願いしてよかったと話していたことを思い出し、伯母に伝えました。
知人にどこに頼んだかも聞いて連絡先を渡すと、早速お願いしたようです。
「どうもありがとう」とお電話をいただきました。

引き受けてくださった業者さんは礼儀正しい方で、供養までなさってくれたといいます。
仕事ぶりも丁寧な上、料金もなるべくかからなくていいように配慮してくれたのだとか。
そうそう今回のおばあさんのようなことはないようですが、いい経験だったかもしれないと話していました。
まだ数人、伯母のアパートにはご老人が住んでいるそうです。
また同じことが起きないとも限りません。
そういった意味でも、遺品整理業者にお願いできたことは良かったでしょう。

上尾市の遺品整理に関する色々な感想・2

厳しくも優しかった祖母が先日、この世を去りました。
両親とも働いていた私が学校帰りに帰るのは、自分の家ではなく500メートルほど離れた祖母の家出した。
私は祖母に育てられたといっても過言ではないかもしれません。

結構な年齢になっても、背筋がしゃんとしている祖母は私の自慢でした。
私が結婚する時も、誰より喜んでくれたのがその祖母でした。
ひ孫を見せられたことが一番のおばあちゃん孝行だったと思います。

亡くなってしばらくは祖母の家をそのままにしてあったのですが、先日土地を売ることになり、家を解体することになりました。
形見や貴重品は見つけてあったものの、遺品整理はきちんとしていなかったため、解体までの間家族総出で遺品整理をしています。

何度も訪れた祖母の家は、祖母がいないだけで知らないうちになってしまったようでした。
もともと物を増やすのが嫌いだった祖母ですが、それでも一軒家にあるものの量は少なくはないのですね。
二、三日で遺品整理が終わると思っていた私たちは、疲れ始めていました。

それでも、自分たちの手で祖母の遺品整理を行おうと心に決めていました。
祖母を忘れないために、大好きだった祖母が生きた証を目に焼き付けるために。

遺品整理を行ったおかげで、形見が一つ増えました。
それは祖母に宛てた私の子供の頃の手紙です。
取っておいてくれたことが何とも嬉しいことです。
いつか子供に見せながら祖母の話を聞かせてやろうと思います。

上尾市の遺品整理関連で見た様々な感想・3

未婚の男女が最近増えてきていると耳にします。
自分の人生を謳歌するのはもちろん悪いことではありません。
しかし、自分が死ぬ時のことを思うと、家族は多いほうが良いと思ってしまうのです。

先日、独身を貫いていた近所のおじいさんが亡くなりました。
家事から仕事まですべて一人でこなされていて、いつも元気な姿は格好いいとさえ思ったものです。
おじいさんが亡くなった時、葬儀を取り仕切ったのは甥御さんでした。
とはいえ、遠方に住んでいらっしゃることもあり、葬儀でお会いしたのが初めてでした。

田舎では近所の人が葬儀のお手伝いに伺うことが多いのですが、私も同じ町内だったため、おじいさんのお宅でいろいろお手伝いさせていただきました。
その時、甥御さんが困っていらしたのは遺品整理をどうするかだったようです。
貴重品はすぐにわかるところにあり、そこにあるお金で葬儀をしてほしい旨が書かれていたようですが、遺品整理についてはみんな処分して構わないとしか書かれていなかったそうです。

私はそんな話を耳にしてしまったので、以前祖母が亡くなった時におねがいした遺品整理屋さんの話を甥御さんにしました。
ご自分で遺品整理をされたか、それとも業者に頼んだのかは定かではありませんが、おじいさんのお宅は先日売りに出されたそうです。

おじいさんの葬儀で、私は自分の親が亡くなった時のことを思いました。
できれば私たちが看取ってあげたいなと思っています。

上尾市の遺品整理行った上での感想・4

私が生まれたときには、もう祖父母は誰も生きていませんでした。
そのかわり、母方の歳の離れた伯母がおばあちゃん代わりをしてくれました。
子供がいなかったこともあり、私をよく可愛がってくれました。

そんな伯母が亡くなったのは、つい2年ほど前のことです。
毎日朝に我が家に犬の散歩がてら寄っていたのに、その日はいくら待っても姿を現しませんでした。
不審に思った私と母が伯母の家を訪ねたところ、伯母は布団の中で冷たくなっていました。

もともと心臓病を持病に抱えていたので、いつ死ぬか分からないなんて冗談半分で言っていたのですが、現実に起こってしまうなんて思いもしませんでした。

葬儀はどうにか終わったものの、遺品整理が問題でした。
綺麗好きな伯母ではありましたが、何しろものが多いうえ、何がどこにしまわれているか全く分かりませんでした。
知人に遺品整理屋さんを営んでいる方がいたため、相談すると手伝うといっていただけました。

やはりプロの手際の良さにはかないません。
貴重品や形見になりそうなものはまとめ、家電類はすぐ運び出してくれました。
部屋を明け渡す期限に間に合わないのではと不安でしたが、どうにかなりました。

伯母がもういないなんて、なんだか信じられません。
ただ、遺品整理に携われてよかったと思います。

上尾市の遺品整理に伴う様々な作業の感想・5

親より先に亡くなるのは、どんなことよりも親不孝だとよく言われます。
そういう点では、弟は親不孝以外の何物でもないでしょう。
とはいえ、弟は本当に優しい子でした。
両親を気にかけるのはもちろん、姉である私にもよく気を配ってくれました。
後は結婚さえしてくれればねという冗談で、何度笑ったかしれません。

弟には生まれながらにして病気がありました。
直接命に関わるものではありませんでしたが、見た目に少し特徴があったり、難聴だったりするため、生活するには不自由だったと思います。

弟の死を知った時、私は自殺ではないことを祈ってしまいました。
何もかもうまくいかないと嘆いていた時期があったのです。
死因は急性の心筋梗塞でした。
病気だと知った時、ショックももちろんありましたがほんの少しほっとしてしまいました。

遺品整理には両親だけでなく、私も立ち会うことにしました。
漫画やゲームが大好きだったため、その持ち物の多くは漫画本とゲームソフトでした。
みんな持って帰るわけにもいかないので、多くはリサイクル業者に引き取ってもらい、形見になるものを探しました。
見つけたのは気に入っていた時計です。
両親はいつもつけていたそれを目にして、泣きました。

遺品整理は両親にとって私以上に辛いものだったようです。
それはそうでしょう。
自分たちのほうが先に死ぬものと思っていたはずですから。
私はかれらに遺品整理をさせなくて済むよう、両親より一日でもながく生きようと改めて心に決めました。

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