小金井市の遺品整理に伴う様々な感想をまとめました

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今回は下記に小金井市の遺品整理に伴う様々な感想をまとめました

小金井市の遺品整理に伴う片付けの感想・1

彼がとうとう旅立ちました。

すうっと眠るように、魂は天国へ。

私がそばで見ている間に、苦しまずにこの世を生きる時間を終えました。

彼の遺品は、使えるものは寄付やリサイクルに、あとは業者に処分を頼むことを彼と約束していました。

私はじき海外へ行くので、自分のものもほとんど一緒に手放すつもり。

今度日本へ戻ってきたら、帰る場所がなくなると心配する人がいます。

私はそれより、遺品たちに囲まれて捨てることもできず、身動きがとれなくなってしまうことのほうがこわい。

彼は私のそういうところを知っていたから遺品整理の方法をこう決めたんだと思います。

遺品整理の会社の人は良い意味のビジネスライクで、私には助かりました。

私では思い出ばかりが目にちらついて、とても作業にはならなかったと思います。

形見としてとっておくかどうか、判断を求められる物がいくつもありました。

すっかり忘れていた手紙なんかも出てきました。

中を読み返す勇気はまだないけれど、手にとっても涙は出ません。

遺品整理というのは、もう一つのお葬式みたいです。

彼が亡くなった事実に対して少しずつ心の整理もつけていくプロセスなのだと初めて知りました。

私が泣かないことをおかしい、という人もいます。

これからも彼とは一緒だから私は平気です。

彼が病気の体から解放されたように、私もこれからは、今より遠くへ飛んで行けるはずです。

小金井市の遺品整理に関する色々な感想・2

僕の身内に孤独死をしてしまった人がいます。

亡くなったのは母の弟で僕のおじさんです。

僕は会った記憶もなければ話題になっているところを聞いたこともありません。

基本存在が忘れられてる、そんな人でした。

母は次の日に泊りがけで神戸へ出かけていきました。

おじさんはそこで独り暮らしをしていたそうです。

留守番の間に、父におじさんのことを聞きました。

酒とギャンブルが好きでトラブルばかり、おじいちゃんはその尻拭いにそうとう苦労させられたらしいです。

母の胆がすわっているのはそのおじさんと長年渡り合ってきたからだという言葉に妙に納得しました。

肉親が孤独死した現場を見たはずなのに、帰ってきた母はわりと平気そうでした。

大家が遺品整理会社に頼んで片付けをしてくれたので母はその立ち会いです。

あとはお金を精算し、形見を受け取ってきました。

形見は箱に入った何枚かの写真。

これも遺品整理会社が見つけてくれたらしいです。

遺品整理、代わりにしてもらえてよかったねと母に声をかけました。

本当はもっといろんな形見を見つけてもらってたけど写真だけで十分、と母は仏頂面です。

聞けばロレックスの時計なんかもあったそうです。

あのおじさんがロレックス。

遺品に持って帰っても…。

売るわけにもいかないし…。

おじさんからこうむった面倒はこんなもんじゃないと母の背中が語るのでうちでその話はそれっきりです。

小金井市の遺品整理関連で見た様々な感想・3

電話の音に胸騒ぎがするという経験、ありますか。

私は特にカンが鋭いわけではないけど、この時の電話に神経がなぜかヒリヒリしたのを覚えています。

電話は、私の実の弟が亡くなったという知らせでした。

弟には娘が一人いて、当時は留学中。

弟にかわって姪とは私がよく連絡をとっていたので、その頃コンクール直前の大切な時期なのを知っていました。

迷った末、「葬儀はするよ。
でも、帰ってきちゃだめだよ。
」と伝えました。

姪は帰国せず、コンクールは三位入賞。

その知らせを聞いた時は、私も姪も電話口で泣きました。

遺品整理は私たちの手ではきちんと終えられない事情があり、業者さんに大きな家具や捨てるしかない物の引き取りをお願いしました。

本当は姪が帰ってくるまで延ばしたかったんですが、姪は気丈なもの。

葬儀に出られなかったのに、遺品整理も私たちに一任すると言ってきました。

その代わり姪の希望で、作業の様子はたくさん写真に撮って手元に送ってやりました。

肉親の死は経験したものにしかわからない悲しみや痛みがあるものです。

私でさえ、まだ時々思い出しては思いにふけってしまうくらい、癒されきっていません。

姪も同じかそれ以上のはずですが、少なくともこの経験で大人になり、生きる力を得てくれたような気がします。

小金井市の遺品整理行った上での感想・4

古い友人で大家をやっている男がおります。

専業の大家なのですが、昔は大尽とか左うちわとか言われて得意顔だったのに、最近は大家であることの愚痴ばかりです。

住人が亡くなって保証人と連絡が取れない場合など、大家のかぶる負担は甚大です。

まあそれは今まで散々聞かされたのでお気の毒様。

この友人が最近母上を看取ったのですが、今まで大家でありながら縁がなかった遺品整理業者を初めて利用したと言います。

遺品整理というのは亡くなった人が残した所有物は基本すべてが対象です。

引っ越しは生きている人が荷物を引っ提げてよそへ出ていきますが、遺品整理は死んだ人の荷物を遺族や業者が運び出し、リサイクルや正しい廃棄にかけるイメージです。

つまり、遺品整理一回の作業は引っ越しに匹敵する量の荷物を扱うケースもあるので、費用もそれ相応にかかります。

今まで大家目線だった友人からすると避けたい出費に違いないのですが、母上となれば事情が違います。

実際に業者選びをネットでやってみて複数の会社から見積もりを出してもらうと足元を見られることはなかったそうです。

最終的に依頼した業者の作業はスタッフの人当りもよく、故人の持ち物を大切に扱う姿勢が感じられてうれしかったと感想をもらしておりました。

他人にたいしてシビアな根性の友人がこれほど言うんだから、誠意のある業者さんに出会えたということでしょう。

小金井市の遺品整理に伴う様々な作業の感想・5

遺品整理と言えば私はボサノヴァ。

うちの下の階の部屋には寝たきりのおばあさんと、娘であるおばさんが二人で住んでいました。

夏の夜、網戸にしてると下からボサノヴァが流れてくる粋な住人さん。

普通のアパートなのにオシャレ感が増すなあと、少し得した気分でいました。

おばあさんが亡くなってしまい、一人になったおばさんはアパートを去ることになりました。

音楽が聞こえなくなったのは、それがおばあさんの趣味だったからです。

引っ越しの前のおばさんは忙しそうで、私は遺品整理の立ち会いを手伝ってほしいと頼まれました。

その時遺品整理という言葉を初めて耳にしました。

奥の部屋はぽっかりした空間があって、これはたぶん介護ベッドを先に運び出したからでしょう。

その壁際に、古い大きなスピーカーが二つ。

うちのアパートは壁も確かに薄いけど、音楽が上まで聞こえてきたのはいいスピーカーだったからかな。

ボサノヴァのCDはわずかに20枚ほど。

おばさんが形見にとおばあさんが一番よく聞いていた一枚を譲ってくれました。

スピーカーはリサイクルされるそうです。

捨てられるよりはまた誰かの手で大切に使われた方がうれしい、とおばさんは言っていました。

こう見えても非力だし、何でもかんでもゴミにされないように、遺品整理は業者に頼むのが安心なのよとも。

いろんなことを教えてくれたおばさん。

元気でいてくれるといいな。

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