秦野市の遺品整理に伴う様々な感想をまとめました

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今回は下記に秦野市の遺品整理に伴う様々な感想をまとめました

秦野市の遺品整理に伴う片付けの感想・1

祖父の遺品整理を、先日ようやく終えることができました。
そう物が多くないと甘く見ていましたが、片付くまでひと月以上かかってしまいました。
一番困ったのは、祖父の趣味だった切手の数々かもしれません。
捨てることもできませんし、かといって私たちには価値が分かりませんでした。

また、古い洋服や着物の処分もどうしたものかと頭を悩ませました。
あまりものを持たない人だと思っていましたが、実際はたくさんの服が隠されていたのです。
その数は大きな袋に10個にもなりました。

写真の整理もなかなか骨が折れました。
昔の写真は傷みも激しく、かといって捨てるのもしのびないので、スキャナーに読み取り、パソコンに保存することにしました。
最近は写真の補修を行ってくれる業者もあるようですね。
中には父の幼いころの写真もあり、なんだか新鮮な気持ちになりました。

遺品整理というのは、残された家族にとっての大きな仕事の一つなのかもしれません。
故人の持ち物を整理することで、私たちの気持ちも一緒に整理されたような気がします。
父や母が亡くなった時も、私はきっと遺品整理をすることになるのでしょう。
今回の経験は将来のためにもいい経験になったように思います。
両親もそれは同じだったようで、今からいらないものは処分しておこうと思ったようでした。

秦野市の遺品整理に関する色々な感想・2

母の生前の口癖は、「人様に迷惑をかけるな」でした。
亡くなってからもその意思を感じてつい笑ってしまったのが、葬儀だけでなく遺品整理も業者の方にお願いしてあったことです。
いつの間にか料金ももう手配してあったようで、貴重品だけは私たちに分かりやすいようまとめてありました。

遺品整理は確かに重労働ではあります。
祖母が亡くなった時、その遺品整理を行ったのは母でした。
私も少しだけ手伝ったのですが、物の多かった祖母の遺品整理には丸二か月かかりました。
そのため、母は私たちに余計な手間を取らせまいとしたのかもしれません。

しかし、私たちはなんだか寂しい気持ちでした。
自分の死期を悟っていたのかもしれませんが、そうした気遣いをしなければいけないのは私たちのほうだったのではと思ってしまったのです。
せめて、遺品整理くらい私たちがしたのに、と思います。
とはいえ、実際はなかなか進まないというのが母にはわかっていたのでしょう。
私も妹も、自分の部屋を片付けなさいとよく母に怒られていたクチですから。

いずれ、私も死ぬ時が来るのでしょう。
その時は、祖母のようにたくさんの物を整理させなくて済むよう、少しずつ物を減らしておくべきだと思っています。
そのためにも、今から整理整頓、そして物を増やさない努力をしたいと思っています。

秦野市の遺品整理関連で見た様々な感想・3

父が亡くなって、気づけばもう3年が経ちました。
当時、突然の死を受け入れることができなかった母と私たち兄弟。
葬儀もいつの間にか終わってしまい、仕事も何日も休んでしまいました。
しかし、父の遺品整理はなかなかする気に慣れませんでした。
遺品整理をしてしまったら、父の気配が消えてしまうような気がしたのです。

しばらくは父のよく着ていたちゃんちゃんこもそのままでしたし、作業着も部屋にかけたままでした。
その間、母の顔はいつも青ざめていました。
死んだことを頭では理解しているはずなのに、受け入れることができなかったようです。
それは私たち兄弟も同じでした。

とはいえ、父の物を残しておいたからといって、父が帰ってきてくれるはずはありません。
母や私たちの心が少しずつ落ち着くに従って、父の物は少しずつ減っていきました。

そして先日、母と一緒に遺品整理をすることにしたのです。
時間は残酷で優しいものですね。
もし、あの時すぐに遺品整理をしていたら、きっと涙が止まらなかったでしょう。
長い時間を置くことで、悲しいながらも笑顔で父の話をしながら、遺品整理することができました。

これからもっと時間が経てば、きっと父の思い出をもっと笑って話せるのでしょう。
それは父のいない生活に慣れてしまった証なのかもしれません。
しかし、いつまでもあの悲しみを抱えて生きるのはつらくてたまりません。
父をだんだんと忘れることが申し訳ない気持ちでしたが、きっとこれからも生きなければならない私たちにとって、必要なことなのでしょうね。

秦野市の遺品整理行った上での感想・4

亡くなる人の年齢が若ければ若いほど、残された人の悲しみは大きいものかもしれません。
人がいつか死を迎えるのは、避けられない事実です。
それが早いか遅いかだけなのです。

頭では分かっていることでした。
しかし友人が突然亡くなった時、私はそれを受け入れることができませんでした。
友人は突然、病気でこの世を去りました。
それは誰も予期していないことでした。

彼女に最後に会ったのは私でした。
あの時彼女の部屋を去らなければもしかしたら友人は死なずに済んだのではないか、もっと早く気づくことはできなかったのだろうか。
5年経った今でも後悔することがあります。

彼女の部屋の遺品整理には、私も手伝わせていただきました。
良かったらと、数枚洋服もいただきました。
私よりもずっとスタイルのいい友人でしたので、着られるかどうかとても心配したことを覚えています。
遺品整理をされるご両親は、ずっとずっとつらそうな顔をなさっていました。
しかし、手を休めてしまえば悲しみに押しつぶされてしまうと思われたのでしょう。
私に遺品整理を手伝ってほしいと声をかけてくださったのにもそうした理由があったのかもしれません。

ご両親とは、今でも交流があります。
命日にはお線香をあげに伺って、友人の思い出話に花を咲かせます。
若くして亡くなってしまった友人。
気づけば私は30歳になっていました。
彼女の分も、私はこれからも一生懸命生きようと思います。

秦野市の遺品整理に伴う様々な作業の感想・5

先日亡くなった祖母の趣味は洋裁でした。
こんなものを作ってとお願いすると、ものの数時間で作ってしまう祖母の腕は素晴らしいものだったように思います。
そんな祖母がこの世を去って、遺品整理をすることになりました。
山のような生地とお洋服たち。
着られそうなものはもらいましたがそれでも一向に減りません。

困った私と母は、祖母が懇意にされていた近所の方々を呼び、遺品整理を手伝っていただくことにしました。
みなさん、形見にと数点持って帰ってくださり、だいぶ品物が減りました。
特に、しぶしぶという感じではなく、喜んで持って行ってくださったので、私たちとしても嬉しい気持ちでした。
そういえば先日、祖母の服を着てくださっている姿を目にしました。
着てくださっているのだと思うと、持って行っていただいてよかったと思えますね。

遺品整理には2週間ほどかかりました。
祖母の使っていたミシンは私が貰い受けました。
実は私がプレゼントしたミシンだったのです。
もう何十年も使っていた足踏みミシンにとうとうガタがきて、処分することになった際、私が新しいミシンを祖母の誕生日に贈りました。
最初は操作が難しいと言っていましたが、あっという間にさまざまな機能を使いこなし、便利だと嬉しそうに言ってくれたことは本当に良かったと思います。

きっと、祖母のように上手に使いこなすまでには時間が必要だと思いますが、私も裁縫頑張ろうと思います。
まずはポーチでも作ってみようかな。

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