今回は下記に横浜市港南区の遺品整理を行った方様々な感想をまとめました
横浜市港南区の遺品整理に伴う片付けの感想・1
子供の頃、いつか死ぬことを想って恐ろしくなったことが何度もあります。
今でも、少しその気持ちはありますが、前ほど恐ろしさを感じることはなくなりました。
きっとそれは、大切な人の死を目の当たりにする機会が増えたからかもしれません。
まだ人の死をよくわかっていなかったからこそ、死が未知のものに感じ、恐ろしいを思ったのでしょう。
今でも未知であることに変わりはありませんが、自分が死ぬことよりむしろ大切な人を亡くすことのほうが、今では恐ろしいことのように感じます。
先日、大好きだった伯母が亡くなりました。
母に言われて遺品整理を手伝いに行ったのですが、そこで伯母の気配を感じ、やりきれない思いになりました。
いちいち手を止めては涙しながら思い出話をするため、遺品整理には一週間以上の時間を費やしました。
しかし、次第につらいだけの気持ちは変化していったように思います。
遺品整理を進めるとともに、私たちの気持ちも整理されたようでした。
大切な人を失うのは、とてもつらいことです。
できることなら、あんな思いはもうしたくありません。
しかし、生きている限りそれは無理なのでしょう。
同時に、人生をまっとうするのは、人間の義務なのだと思うようになりました。
大切な人を悲しませないためにも、日々の生活を大切に過ごしたいと思います。
横浜市港南区の遺品整理に関する色々な感想・2
最近、死んだ父に会いたいと願うことが増えました。
子供が大好きだった父に、孫にあたる私の子供たちを抱いてもらいたいと思っているからかもしれません。
父の死は、本当に突然でした。
誰も予期できなかった死だったため、その悲しみは長きに渡りました。
母はみるみる痩せ、白髪が増えました。
そして父の遺品整理は何年も行われることがありませんでした。
数年後、私に子供が生まれました。
母はそれは喜んでくれ、父に見せたかったと涙しました。
しかし、その頃からでしょうか。
だんだんと母は落ち着きを取り戻し始めました。
そんなある日、母からようやく父の遺品整理を始めたと、報告を受けました。
最初は父を思い出し、涙で何度も手を止めたといいます。
しかしだんだんと父とのいい思い出を思い出し、笑顔が増えていったのだといいます。
遺品整理してよかったとさえ、母の口からききました。
その時、まだ新しいTシャツだからと、母から父の使っていたものを何枚か譲り受けました。
形見と呼ぶには少しラフかもしれませんが、それを着るたび、父を思い出しています。
来週、父のお墓に新しい命が宿ったことを報告に行こうと思っています。
そして、時々は夢の中でもいいから会いにきてと、文句も言おうと思います。
横浜市港南区の遺品整理関連で見た様々な感想・3
独り暮らしの祖母がずっと気にしていたことは、「一人で死ぬこと」でした。
近頃、孤独死のニュースが頻繁に流れます。
もし一人で死んで、いつまでも見つけてもらえなかったら…と思うと、恐ろしくなったといいます。
「腐っちゃったらいやだもの」と、祖母は口癖のように言っていました。
そんな祖母が、先日亡くなりました。
自宅でという願いはかなわず、場所は病院のベッドでしたが、祖母が心配していた孤独死は避けることができました。
お葬式が終わり、部屋の遺品整理に訪れた私たちでしたが、なにから手を付けたらいいのかわかりませんでした。
そんな時、遺品整理を請け負ってくれる会社を見つけたのです。
遺族がやってあげなければと気を張っていた私たちでしたが、お願いしてよかったと、今では思います。
遺品整理をお願いしたことで、忙しさに追われちゃんと悲しんであげることができないという事態を避けることができました。
きっと自分たちでしていれば、なんでもかんでも処分することができなかったかもしれない、とも思います。
しかし、きっと中には祖母が恐れていた「孤独死」のお部屋の遺品整理を依頼されることもあるのでしょう。
大変な仕事だと思います。
ただ、本当に助かったというのも事実です。
もしそういう機会に再度遭遇してしまったときは、またお願いしよう思います。
横浜市港南区の遺品整理行った上での感想・4
私の悪い癖に、「捨てられない病」があります。
使うか使わないか分からないものを、すぐにとっておいてしまうのです。
なんでもかんでも「もったいない」というのは、きっといけないことなんでしょう。
おかげで家の中はものであふれ、主人にも呆れられてしまいます。
そんな私の性分は、きっと母から受け継がれたのでしょう。
なぜなら母もまた、物を捨てられない人でしたから。
私が着ていた子供服を取っておいたり、ベビーバスを取っておいたりするような人です。
母が亡くなった時、その物の多さに驚いたのは言うまでもありません。
しかし、主人には私が遺品整理をすることを禁止されてしまいました。
「お前は何でもかんでも持って帰ってくるだろう」というのです。
それに反論することは、もちろんできませんでした。
そこで、広告で見つけた業者に遺品整理をお願いすることにしたのです。
実は作業が始まるまで、私は不安で貯まりませんでした。
なんでもかんでも処分され、大事なものは何も残らないのではないかと思ったのです。
そんな不安は、すぐに吹き飛びました。
驚くほど丁寧に作業してくださったのです。
もちろん、もったいない精神の持ち主である私は、みんな必要と言いそうになりましたが、それをぐっとこらえました。
もし、自分で遺品整理をしなければならなかったら、きっといつまでも作業を終えることができなかったでしょう。
最初こそ抵抗がありましたが、万が一また遺品整理をしなければならないときは、同じ業者の方にお願いしたいです。
横浜市港南区の遺品整理に伴う様々な作業の感想・5
生前に葬儀や遺品整理をお願いしておくお年寄りが、最近増えていると聞きます。
私の祖父も、「死んでまで金がかかるなんて」とよくぼやいていました。
祖父はお金の使い方が実に豪快な人でした。
「死んでもどうせ金は持っていけないんだ」と、しょっちゅう私にもプレゼントを贈ってくれたものです。
そのたびに私は自分に使ってほしいと訴えましたが、「散々やりたいことはやってきたんだ」と言って耳を貸しませんでした。
そんな祖父が、先日息を引き取りました。
晩年はこれまでの豪快さはどこへやら、背中がなんだか小さく見えました。
祖父が自分で頼んでおいた葬儀を終え、祖父の部屋を訪れると、そこはすでに遺品整理がはじめられようとしていました。
死んだ人間が生きている人間に迷惑をかけてはいけないというのが祖父の持論だったそうです。
悲しみに浸る暇もなく、祖父の気配は消えてしまいました。
寂しがる私に、母は「おじいちゃんらしい」と優しく言いました。
最後まで本当に豪快だった祖父。
まだまだ天国へ行く予定はありませんが、自分があちらの世界に行くときは、祖父の潔さを見習いたいと思います。
そして、天国で一緒にお酒でも飲みたいなと思います。
私の人生は、まだ半分にも達していないのでしょう。
まだまだ長い人生、祖父のように豪快に生きたいものです。
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